【連戦連敗】20年目になんとなく20のお題(アリスエキスポ☆2009配布お題)より
『予定より早く抜糸。桃の快気祝い。そっち終わったら連絡くれ。Sorry なーにが「そーりー」や。大の男が、猫の絵文字まで使ってからに。 私は、携帯電話の小さな画面を爪でパチパチと弾いた。 人がたまに歓迎の準備をして待っていれば、これだ。 確かに、締切りは今日だと伝えた。どこかに食事に行こうという誘いに、締切り前だっていうのに呑気なこと言うな と八つ当たりをした。おごりならば頑張ってそれまでに原稿を上げぬでもないと思わせぶりも口にした気がする。 それでも、京都らしい弁当でも手土産にした彼の来訪を当然のように期待していた私は、鼻先にニンジンをぶら下げ られた馬のように、超特急でエッセイを書き上げたのだ。 概略が決まっていても、文章というものは気分が乗らないとなかなか書き進められないものだ。 逆もまた真なりを証明して見せたというのに、証人は私自身だけだ。モニタの向こうの片桐にしてみれば、ごく短い エッセイ程度で締切り破りをしてもらっては困るという観点からだろうか、お褒めの言葉も特になかった。 自分が浅墓なのは重々わかっているが、しゃくに障るのは如何ともしがたい。 いかに長いつきあいとはいえ、いつ終わるとも知れぬ友人の仕事完了を空腹を抱えて待つよりは、婆ちゃんの 心づくしに舌鼓をうちながら、愛猫の快復を喜んだ方が建設的であることは自明の理だ。 私は、脱稿後の万能感から一気に下がった気分を上方修正するべく、数日前に買い込んだ、巨匠作・新作推理小説の ページを繰った。
「アリス、そろそろ一服しないか。俺が来てから三時間もぶっ通しで読んでるぞ」 火村が夕陽丘に辿りつくと、アリスはソファにだらしなく寝そべり、片足を落としたままで分厚いハードカバーに 熱中していた。チャイムを鳴らしたときは玄関先まで出てきて鍵を開けてはくれたが、話しかけても上の空、 ページから一切目を離そうとしない。 コーヒーに牛乳をたっぷり注いで手に渡してやると、自動的に受け取って一口ゴクリと飲み、そのままの姿勢で 読み続けている。 火村は、定宿のソファをなんとかして取り戻すか、いっそのこと家主のベッドを無断で借りるか思案せざるを得な かった。夕陽丘に着いたのがきっかり真夜中。さすがのタフガイも、午前三時ともなると大分眠い。 「アーリース」 だめ押しに声を掛けたが、ミステリマニアは振り向きもしなかった。 文章を書くことは、アリスにとって息をするのと同じだ。友人との会食と比ぶべくもない。 それは分かっているのだが、時々、彼にとっての自分の価値を試したくなる。 快気祝いともなれば、仕事をとっとと切り上げて北白川に来てくれるかと思ったが、まんまと予想が外れた。 (もっとも、それで彼の歓心を買ったとしても、桃や婆ちゃんという強力な助っ人あってのことなわけだが) 新作らしいハードカバーは、見慣れた友人の顔より随分おもしろいようだし。 まだまだ、火村の立ち位置には上昇の余地がある、改善の努力を要すということだ。 それにしても、夜中に愛車をとばして駆けつけた友人を、蔑ろにしすぎではないかと思う。
ところで、この負け続きをひっくり返すには、フランス料理のフルコースあたりでいいのだろうか?
<どっとはらい>大嶋貢/ハッピーアイズ! 2009.04.04 Copyright (C) 2009 OHSHIMA Mitugu. All Rights Reserved. http://happyeyes.jp/
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