【利口な選択】20年目になんとなく20のお題(アリスエキスポ☆2009配布お題)より

 

「もしもし」珍しい。約束している日はなるべく電話してこないようにしているらしい、アリスからのコールだ。

猫が塀から落っこちたのを見たとか、片桐のパソコンが壊れたとか、つまらないことで頻々と電話してくるくせに、

約束の当日だけは、時間の確認すら自分からはしようとしないアリスの胸の内は、謎のままだ。

会うのが待ち遠しいのを知られたくないせいだろうと思うのは、オプティミスティックにすぎるだろうか。

「どうした先生。丁度今下宿に戻ってきたところだから、もうすぐ出発できるぞ」

自然とうきうきした調子になってしまう声をなるべく低く抑えながら、火村は受話器に向かって答えた。

ゴールデンウィークのうち数日は夕陽丘でゆっくり過ごすことができたが、その後十日間は、毎年この時期になると

突如向学心に目覚める学生諸君のせい……いやいや、おかげで、目の回るような忙しさだったのだ。

長期休暇の常として、前後にしわ寄せが来るのは仕方がない。火村も、黙々と自らの責務を果たしていたわけだが、

とりあえずの義務を果たした今、ささやかなリフレッシュに浮かれることくらいは許してほしいと思う。

誰に許しを乞うているのかは謎だ。神に、でないことだけは確かだが。

続くアリスの一言で、火村の平和なもの思いは破られた。

「あ、それやけど、今日は来なくてええわ」

「はあ?何言い出すんだ一体。仕事が終わってなくても、別に俺は気にしないぞ」

遅れている仕事にいそしむアリスの側で、新妻よろしく家事をすることもままある。自称「浪速のクイーン」は、

スムーズな原稿の進行とは縁遠い生活をしているのだ。

「新型インフルエンザ」

「それがどうした」反射的に答えて、一瞬後にその単語の意味するところを諒解したと思った火村は、思わず

大声を出した。「お前、感染したのか?」

「違う違う、つい今朝まで原稿にかかり切りやったんや。こもりっきりで、そんなもん拾って来られるわけ

あらへんやろ」火村の慌てぶりが面白かったのか、アリスは笑いを含んだ声で答えた。そうなると、訪問拒否の

理由は、依然謎に包まれたままだ。

「君、結構ニブいな。新型インフルエンザは日本では最初どこで流行った?」

この時期、関西在住でそれを知らなかったら社会人として問題があるだろう。「大阪、だろ」

「ブー。残念でした。学校やろ、学校」得意そうな顔が目に浮かぶようだ。

火村も、アリスとだてに長くつきあっているわけではない。ここまでくれば、彼の考えの軌跡を手に取るように

たどることができた。

「要するに、学校教員である俺が、お前んちにウイルス持ち込むんじゃねぇかと心配しているわけだな」

「ピンポーン!正解者にはマスク一年分、自分で買ってな」言い放った。友達がいのない奴だ。

「俺は別に何の症状もないし、京都では、まだそう沢山はいないし、英都の学生についても感染の報告はないが」

「来週にはいくつか締切があるしな、備えあれば憂いなしや。いや、転ばぬ先の杖?」聞いちゃいない。

「二メートル以上近づかなきゃいいんだろ」我ながらいじましいとは思うが、この関係に於いて弱者を自認する

火村としては、今更だ。

「ブッブー!誤答者はマスク一年分、自分で買ってな。閉鎖された空間の場合は二メートルとは限らんし。

だいいち」一息おいて「この場合、君は信用できん」

火村も、そのような場合、自分を信用できないという意見に首肯するにやぶさかでない。

「じゃ、流行が収まるまでは、先生はマンションに一人でおこもりになると。拝謁は叶わぬとのことですな」

「そうや、それがお互いにとって利口な選択ってもんや。じゃな、火村。人ごみに出る時はマスクせぇよ」

皮肉も通じなかったようだ。何の余韻もなく、プツッと通話が切れた。

こういう時、気が置けない仲だからこその理不尽を感じるが、いつものこと。常に敗戦は我が手にあり、だ。

「利口な選択…か?利己的な選択って感じがするんだが。なあ、桃」せめて愛猫には同意を得ようと、思わず

話しかける。

携帯ストラップにじゃれついていた桃は、すました顔で「ナ」と小さく答えた。自分ならそんな薄情なことは

しないのにねと言っているようで、火村はおおいに慰められたのであった。

 

もっとも、桃が実際にそう言っているとしても、今回のインフルエンザは猫にはうつらないから、とりたてて彼女が

情に厚いというわけではなかろう。

 

※扱ったモチーフについて、不謹慎とお感じになった方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。

筆者自身、今回の事態について、状況を憂慮している一市民でありますことを、一言書き添えておきます。

 

<どっとはらい>大嶋貢/ハッピーアイズ! 2009.05.24 webclap

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