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20年目のカレー記念日に。

 

 ---すみません、朝井さん。

 ---京都市内のセンセと連絡ついて助かったわ。うちに連れてくわけにもいかんしねえ、一応。

 ---妙齢の女性のお宅ですからね。

 ---妙齢、でもないけどね。こんな荒れるなんて珍しいんちゃう、もともとそんなに飲む方やないし。

 喉が灼けるようだ。極端に狭まった視界には、洋式便器の排水口しか見えない。ここにいるはずの

ない火村の声がかすかに聞こえ、吐き気のせいではない涙が出た。

 准教授になったのも早かった火村は、この四月、恩師の退官に伴って教授になった。

 四十歳の新教授。型破りのフィールドワーク方法にも、追従する者が出てきているらしい。

研究といえど結果が全てだから、コツコツとデータを積み重ねてきた火村が、封建的な学会内でも

評価され始めているのは当然のことだ。

 学内では最も年若の新教授であるし、押しつけられた雑用が山とあるはずだ。准教授就任の時も

そんなことを聞いたし、それでなくとも新学期が忙しいのは分かっている。

 でも、誕生日くらいちょっと時間作ってくれてもええやんかと電話し、馬鹿な女みたいなこと

言うなよ分かってるだろとあしらわれて、カチンときたのだ。

 アホなこと言うて悪かったな、教授様と違て俺はしがない売文家やし、分からへんねん。

丁度つきあいはじめて二十年やし、そろそろ潮時かもなあと売り言葉に買い言葉、電話をガチャリと

切ったのみならず、その後、彼からの着信には一切答えていない。

 考えてみれば、どうしてそこまで自分が激高してしまったのかは分からない。

・・・いや、分かってはいるのか。自分のイライラを、火村にぶつけてしまった。

 先頃大和撫子と家庭を持ち、日本に骨を埋めることにしたらしいウルフ先生から、教授就任内定を

きっかけに火村に数々の見合い話が持ち込まれていると聞いた。

 今まで、都合の悪いことからは目を逸らしていた。今回の教授就任を、変人枠だと揶揄する者は

もういない。彼のたゆまぬ努力が評価された結果であることは誰もが認めるところだ。

 片や私はと言えば、デビューこそ彼が講座を持つよりは早かったが、未だに中堅作家の

ポジションをうろうろしている。本格推理というジャンルを選んだ時点で、ベストセラーを狙うのは

諦めているし、実のところ興味もないのだが、同じ男として火村に差をつけられているという

コンプレックスは常にある。

 かてて加えて、私達の関係だ。

 どちらから始めたのかと言えば、火村からと表現するのが正しいのだろう。

 しかし、彼が自覚する前から私が思っていたということには自信がある。色事に勝ち負けはないと

言うけれど、私にしてみれば負けっぱなしの感があるのだ。

 毎年、ゴールデンウィークには、大概火村は私の部屋でだらだら過ごしていた。今年は連絡を

とっていないから、どう過ごしたのかは知らないが、私ほど侘びしくはなかっただろう。

 火村は覚えていないかもしれないけれど、彼と出会って二十年が過ぎる瞬間を京都で過ごしたくて、

でもひとりではいられなくて、朝井女史を誘った。

 小夜子は、何か感じとったのかもしれないが、串に刺さった物を食す会に火村が来ないことについては

一言も訊かなかった。だらだらと本格推理小説界の来し方行く末などを話していたのは記憶にあるのだが、

気づいたら店の手洗いに顔を突っこんでいたのだ。

 

 

 頭をゆるゆると撫でられて、ハッと目が覚めた。

「40歳にもなって、ベンチで朝を迎えるとはね」

 私が一晩中もたれていた肩をパキパキと鳴らし、最近四十肩気味でな、と笑う。

「すまん、今日は昼食おごるわ。何がいい?」

「自分でわかってるだろ、先生。散々周りに吹聴してるんだから」

 謎の返事をしばし反芻し、私は答えにたどり着いた。

「・・・学食カレー」

「いい子だ、自分で気がついて」

 ----夜はその分豪華にしてもらおうかな。

 耳に注ぎ込まれたバリトンは、夕べのアルコールより深い酩酊を誘った。

 

 

 連絡を絶っていたことについては何も言われなかった。酒を浴びるように飲み粗相をしたことに

ついても、軽口を叩かれただけだ。自然に笑いかけられてつい、昼食を奢ると提案してしまった。

 公園のベンチからそのまま彼の新しい教授室に連れて行かれ、これも真新しいソファに有無を

言わさず寝かせられた。横のローテーブルには、スポーツ飲料のペットボトルが三本。

仮眠用なのか、用意してあった上掛けは爽やかな若葉色で、朝日が差し込む窓はきらめいている。

天国から降っているのかと思えるような、暖かくて柔らかい光に、胸が苦しくなった。

 火村は、弱っている者に鞭打つような人間ではない。

 ----だからこんな時は、どんなに優しくされても勘違いしてはならない。

 分かっているのに、それに縋ってしまいたい自分を抑えられない。せっかく仮眠をとることが

できるようにとソファを提供されたのに、まんじりともできなかった。

 不在の札を出しドアに鍵をかけて講義に向かった火村は、正午すぎに戻ってきた。

 約束通り、学食に向かう。

 二日酔いの胃には学食カレーはあまりにヘビーで、そして自分の分を買う気にはどうしても

なれなくて、火村一人分だけカレーの食券を買った。初めて買ったときの倍の値段のカレーは

初めて買ったときと寸分変わらぬ見た目で、グルメではない火村でも、そうそうおいしく

感じるはずがないと思う。

 旨いぜ、一口食えよと口元に差し出されたスプーンに、無言でかぶりを振る。代わりに、

氷がとうに溶けて生ぬるくなった水道水を飲み込むと、苦くて余計に胸が詰まった。

 私は、八年前のあの悲しい事件の時、数少ない友人に火村との出会いについて話した。

実際、他人に話したのはその時位で、吹聴しているなんて事実はない。

 彼は、記憶力がいいのだ。日々なんとなく砂のように思い出を手から取りこぼしている私とは

わけが違う。

 だから、特別なことではないのだ。彼が、私達の出会いについて覚えていたということは。

 

 

 火村は、未だに学生時代と同じ北白川の下宿に住んでいる。大家の篠宮時絵さんとも、

私との付き合いを越えた21年目だ。

 昼食後(私は食べていないが)、勝手知ったる部屋で仮眠を取らせてもらいつつ火村が

仕事を終えるのを待った。やはりどうしても気分が悪くて夕陽丘に帰ろうとしたら、

京都駅まで送ろうと強引におんぼろベンツに押し込まれた。着いたのは北白川で、この状態で

電車に放り込むのは社会的責任の放棄だからなと嘯く彼に、逆らうだけの気力がなかったのだ。

 夕食は奢ってもらうからな、絶対に待ってろよと言って出て行った彼を待つつもりなど

全くなかった。しかし、ひんやりした万年床の香りから離れがたくてうとうとしていたら、

意外に時間が過ぎていたらしい。襖を開ける音で目を開けると、どう見ても寿司折りとビールが

入ったレジ袋を下げた火村が、見慣れた白いジャケットではなくネズミ色の上着を肩にしょって

立っていた。

「あれ、夕飯は豪華にするんやなかったのか」

「もちろん豪華だぜ、早く食っちまおう」

 私が奢るはずだったのに、何かがおかしい。一応、財布を出しながらレシートを求めたが、

やんわりと拒否された。

 では、どうして私はここで待たされていたというのだろう。早くしないと、終電が出てしまう。

飲みに来たので、車はない。でも、決定的に突きつけられる前に辞してしまいたい。

 スーツで出勤するのは肩が凝るぜとか、婆ちゃんに最近マッサージ座椅子を買ったんだけど

あれは結構効くなとか、どうでもいいことをペラペラと話している火村は、いつもと変わりない。

ちらちらと時計に目を走らせる私には気づいているようだが、それを気にする様子もない。

 私は、寿司のガラを台所でまとめたのを機に、意を決して口を開いた。

「火村、俺はそろそろ」

 火村は、少し目を見開いた。「そろそろ?」

 蛇に睨まれた蛙のように、舌が丸まってしまいうまく操れない。「そろそろ、お暇する・・・」

 くるりと視界がまわった。脳貧血を起こしたのか、一瞬気が遠くなる。気づいたときは、

先程まで居眠りをしていた万年床に組み伏せられていた。

「逃がすもんかよ。今更だ。二十年間も与えておいて、取り上げるなんて認めない」

 ----俺からアリスを奪う者は、例えお前自身だって許さない。

 口吻は深く、吐息は全て飲み込まれた。

 喉の奥から唾液を啜られ、粘膜から融けてしまいそうだ。上も下も分からない。水中で、

方向感覚を失ったようなものだ。必死で握ったシャツはしっとりと汗を含んでいて、

やんわりと指を開かれ誘導された先は、彼の首だということだけが分かった。

 

 

 こういうとき、一気に冷静になってさっさと体を離し、煙草を吸ったりするのは男の生理

だと聞いたことがある。しかし、火村は放り投げてあったジャケットの内ポケットから

キャメルを取り出すと、火をつけて咥えてからすぐに私の隣に滑り込んだ。枕元に、灰皿を

引き寄せる。失火の原因のひとつは寝タバコらしいが、その対策なのかクッキーの大きな

缶を灰皿を載せるトレイにしてあるのが、年期を感じさせる。

 タバコをつまんだ指は、初めて見たときよりも節だっている。しかし私の頬をくすぐり

引き寄せる手のひらのかさつきは、初めて握手した時と変わらないと思う。

 ただし、初めて触れた時と違うのは、その熱さだ。頬から離れた手は布団の下に忍び込み、

私の腰骨をやんわりと引き寄せた。ゆっくりと揉み込む熱さに溶けてしまいそうで、溜息が出る。

「豪華ディナー、ごちそうさん」

 ここまで言われれば、私でも分かる。

「・・・粗餐で失礼する」

「全くだ。ステーキにおたふくソースかけるような真似しやがって」

「でも」

「デモもストもあるもんか」

「君、ほんとオヤジに」

 火村は、少し怯んだように瞬きを繰り返した。

「もしかして、それが原因か?」

「は?何のことや」

「急に連絡とれなくなったじゃねえか。そこら辺のうるさい馬鹿な女どもとは別格だからな。

調整調整で、やっと誕生日休む目途がついて連絡しても電話に出ないし、メールも返事

寄越さないし。直接行ってもいねぇしよ」

「誕生日は空いてないんやろ」

「は?何言ってるんだ。親の葬式を騙ってでも休む気まんまんだぜ。まあ、親の忌引きは

三回目だけどな」

 教務が回数なんか数えてるわけありゃしねえから大丈夫だと悦にいるので、おずおずと

確かめる。

「念のために訊いてもええか。誕生日って、誰の」

 火村は、手を止めて答えた。

「アリスのに決まってるだろ。他に誰がいるんだ。婆ちゃんか」

 腑に落ちた。私は火村の誕生日に、火村は私の誕生日に、一緒に過ごすつもりだったのだ。

お互い、自分の誕生日は平日と変わらず働いていたし、ゴールデンウィーク前の二日間を

空けることができるほど、二人とも暇ではない。ちなみに私は、自分の誕生日に頼まれた

講演をするために東京に行っていた。

「婆ちゃんの誕生日も、三人で今度祝おか。オヤジ的な駄洒落は控えてな」

「あ、何だよ、やっぱりオヤジはダメなのか。アリスだって、ちょっと腹が出てきたじゃ

ねぇか」

 ほとんど吸っていないキャメルを灰皿に押しつけたのは、おかわりの合図だ。

 

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2ブロック目は、元はこの文章の下書きから抜粋したもので、5月7日0時過ぎのお題ツイートです。

全貌は、こんな感じなのでありました。

 

改めまして、20年目のカレー記念日おめでとう!

120507-08大嶋貢

 

<どっとはらい>2012.05.07

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