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せわしいドアチャイムで、私の高尚な思索は打ち破られた。この小学生のようなならし方は火村だ。
自宅勤務者の私を訪ねる人々は、皆訪問直前に電話をしてくるし、当然ながらチャイムは一度。
在宅かはたまた仕事中かも確認せずにずかずか上がってくるのは、家主に用がなくてもホテル有栖川素泊まり無料を利用しまくっている助教授しかいない。
これだけピンポン鳴らすということは、今日はばっちり家主に用があるのだろう。
中に家主がいるときは合鍵を使わないというのは、彼なりのけじめなのか礼儀なのかは知らないが、ご近所迷惑なのでピンポンは一回にして欲しいものだ。
数日前に携帯電話の割引プランに入ろうと誘うために会ったばかりだから、私が準カンヅメ状態だということを火村は知っている。
それでも来たということは、やっと気づいたのかもしれない。
はいはいはい、と米屋を家に招き入れるサザエさんのように返事をしながら玄関をあけると、案の定携帯電話の料金プランのパンフレットを握りしめた火村が立っていた。
靴も脱がずに、先日二人で入った「恋人たちのための」定額プランの欄を指さす。
「アリス、お前だましたな。特定の電話番号への通話とメールが定額になるだけなら、二人入らなくても適用されるんじゃねぇか」
その通り。一人でもこのプランは利用できる。しかしお互いにこの定額プランに入れば、携帯電話会社の宣伝文句通り「恋人同士で電話もメールもし放題」になるのだ。
これに誘ったとき、私は、火村がこの定額プランの名前に過剰反応するのが楽しくて、本当のところは説明しなかったが、嘘をついたわけではない。
だましたことは否定しないが。この情報化社会で、自分で情報を集めることを怠った火村がいけないのだ。
自分の目が、チェシャ猫のように三日月型になるのが分かる。対して、火村は苦虫を噛みつぶしたような顔だ。あー楽しい。
私は余裕をみせてやる。火村の手を取って居間に招き入れると、ソファに座らせて自分もその横にかけた。現在の懸案事項に
合わせた配置である。改めて試合再開。少々近めで、語尾を上げて。
「それじゃ、片想い定額になってしまうやんかぁ」
フイと視線をそらした助教授は、いつまでたってもこんな状況に慣れないようだ。いたたまれないのか、ボスッと音を立てて
ソファの背もたれに沈み込み、ことさらに不機嫌そうな声を出してみせた。
「べつに構わないだろ、痛むのは俺の財布だ。定額料の方が高くつくかもしれんぞ」
ナニワの人間をなめるな。たとえ自分のことではなくても、一銭たりとも損をするのは許せないのだ。それに、火村は、私とどんなに長電話をしているかの
自覚がないのだ。独身貴族も長くなり、各種公共料金をチェックするまでもなくほぼ毎月同額
引き落としで暮らしていると、請求書の金額チェックすら怠るようになり、当然携帯電話の会社から送られてくる、新しい割引キャンペーンのチラシも見ない。
そうすると、自分の携帯電話料金にどれほど無駄な支払いが含まれているかも気づかないのだ。
そんなことをとうとうと説明しても、もはや火村は聞く耳持つまい。こんなことで奥の手の大安売りをするとは痛恨だが、
背に腹はかえられない。そうと決まればパワーアップ。少し目を伏せて、瞬きの回数も多くしたりして。
「俺は、君と、ラブで定額したいんや。なんで分かってくれへんの」
奥の手は滅多に使わないから、いつも効果はてきめんである。もっとも今回はこのプランの申込用紙にサインさせた数日前にも使っているので、
いちいち引っかかる火村が単純すぎるのかもしれない。こう簡単にかかると、うぬぼれてしまうではないか。
この先生は、難しいことはいくらでも覚えている学者のくせに、ストレートに言われなければ、いつも忘れてしまうらしいから、時々こうやって思い出させてやるのだ。
自分の手の中には何もないと信じ込んでいる臆病な彼には、とっておきの技をかけてやる。
私の浸食を心地よいと感じるようになるまで。
何万回でも。
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