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 事件が起こった場合、発見現場周辺での初動捜査が肝腎だということは、重々承知している。

 助手としてフィールドワークに同行することを黙認されている私としては、どんな現場であっても粛々とついていくしかないわけだ。

しかし、時に、足を踏み入れたくない場所はある。

 バラバラ殺人の解体現場とおぼしきバスルーム。

 ゴミ処理場。

 解剖学教室。

 工事現場の高い足場の上。

 足場の悪い崖の下。

 エトセトラ……生理的な不快感というものは、理性ではなかなか押さえつけにくいものである。

 今回の現場は、一般的には清潔な場所ではないが、不快を感じると決まったわけでもない。自分自身も日に何度もお世話になるし、

高級な場合、拙宅より広くきらびやかな場合もある。

 むしろ「きらびやかな場合」なのだ、私が連れてこられたここは。

 しかし、一般的な生活をしているという自負のある三十代男性である私には、やはり敷居が高い場所だ。

 女性用トイレというものは。

 大阪では一二を争う高級ホテル、バーラウンジのある最上階のトイレ。休前日の夜ともなれば、なぜか未だバブリーな紳士達に伴われた女性達で

賑わっているであろうスペースは、全面に張られたガラスから降り注ぐ光で、しらじらと照らされている。バーラウンジが営業している時間には夜景が

目を楽しませてくれるから、それを狙った作りなのだろう。高層階だから、覗き見される可能性が低いとはいえ、トイレがこうオープンでは落ち着かない。

水回りは白い大理石(かどうか知らないが、私が知っている高級な石といえば大理石か御影石くらいだ)で統一されている。五つある個室を隔てて、

水回りと反対側にある広々としたパウダールーム(というらしい)には、ふかふかした深紅の絨毯がしきつめられ、化粧直しに必要な小物が備えられていた。

 遅れて到着した私に、森下刑事は丁寧に女子トイレの色々を指南してくれた。若いのに、森下には、ここが女子トイレであることについての動揺は感じられない。

そう言ったら、はりきりボーイはこう返してきた。

「有栖川さん、女子更衣室で捜査してみて下さいよ。女性に夢を抱こうって気持ちはなくなりますよ。ここは公共のトイレだから、どうってことないでしょう」

 その物言いは、まるで経験豊富な刑事のようだ。若者言葉でいうところの「上から目線」というやつか。

 以前は火村の助手としてそれなりに尊敬されていたと思うのだが、最近、森下含め大阪府警捜査一課の面々による自分の扱いが、どうにも軽い気がしてならない私だ。

「こら、森下。いらん口きいとらんで、ちゃっちゃと説明終わらんか」

 案の定、鮫山警部補に怒られた。私も、途端に小さくなった森下と一緒に首を竦める。

「有栖川さん、こちらへどうぞ。鑑識の作業はもう終わっています。我々も、もうすぐ引き上げますが、火村先生は現場の個室を検分されていますので」

鮫山は、あくまでもジェントルだ。

 火村は、いつも通りの黒い手袋に白いジャケットで、忙しくあちこち見回っている。私は、発見現場である個室をちらりと覗いた後、船曳警部と火村の話に加わった。

「そうすると、流水音がした後、いつまでも友人である被害者が出てこないのを不審に思った発見者が、ドアの鍵が掛けられていないことに気づいて押し開けたと

いうことですね」火村は右手だけ手袋を脱ぎ、人差し指を顎に押し当てた。トイレを検分した後、そのまま顔に触ることはさすがにしないらしい。

 船曳は、サスペンダーをパチンと鳴らして答えた。

「正確には、電子流水音ですな。我々にはよう分からんですが、女性は用を足すときこういうものを使うらしいんですわ」

 船曳が、個室内のペーパーホルダー脇にある掌ほどの金属板に手をかざすと、かなり大きな水音が流れ始めた。明らかに作り物の音と分かる。数十秒で音は唐突に止まった。

 

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